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私の釣りを振り返り思うこと・・・ [雑記]

今週、釣りは断念というか、仕事が山積みなので丁度よし。

先日に大阪の生産管理システムの大統合も実現!

ところが、全ての工程管理システムを繋げると・・・

製造業なので各工程に年配の方もいらっしゃるわけで、なんと、マウスのカーソルが見えないので入力できないとのこと。タブレットでもなおさらダメとのこと。

システム統合は完璧にできたかと思ったのですが、思いもよらぬ障害。

そこでもうひと踏ん張り、そういう方のための専門の入力画面、バーコードとテンキーだけで間違いなく入力できる小システムを今日ほぼ構築しました。

これだから仕事も、釣りに負けないくらいおもしろさがあります。

また最近、ヤバイ組織の被害の相談を受けるところからのシステム相談があり、めったに入らないようなところへも行ってきました。もし仕事を受けられれば、長くしっかりサポートさせてもらい、何かの協力でオレも闘いたい気持ちがあります。

本の出版でも、これまで私が企画構成した本が数冊あり、最初の1冊は自著で増刷7回、初版から10年以上経っても今だに売れるIT分野では異例のロングセラーだそうです。これはAmazonの存在も大きいこともあります。もっとも現在の印税は年間1万円代になってますが(笑)。

実は、今春もまた別の技術系出版社からのオファーが来ているのですが・・・もう出版はゴメンという気分です(笑)。

またIT技術だけでなく、新規案件などで、小規模から大企業に行って営業折衝の仕事もけっこうこなしてます。

私の仕事はIT技術者のようでもありますが、元々は広告系の仕事、そして会計の仕事もけっこうやってきています。

それに私の扱うプログラム言語自体は、ギョーカイではローテクのほうです(笑)。

ですから本来、私は理系ではなく完全文系人間です。

というか・・・文系の勉強もサボってきた人間が文系と言っていいのだろうかは大きな疑問ですが(笑)。

会計もITも語学も全て実践で鍛えてきました。


さて、前置きが長くなりましたが(笑)、最近自分の釣りについて思い起こしていました。

最初に釣りをしたのは、名古屋に住んでいたときで、その時に一緒にいた友達から考えると、幼稚園だったか小学低学年だったでしょうか。

都銀銀行マンで普段日曜日もまず家にいなかった私の父と友達3人で、近くの川でハヤ釣りをしました。

その時、オヤジが「〇〇君には負けるなよ」と私に耳打ちしたのをしっかり記憶しています。

私は子供心ながら「釣りに勝ち負けなんてないだろ」と、内心、小さいことを言うなとガッカリしたのも覚えています。

そしてホントの釣りキチになったのは、中学生になってからです。

主には、知多半島にてカレイの投げ釣りばかりでした。また近くの池でしょっちゅうフナかモロコ釣りをしていました。

その他、ライギョとかナマズとかフィッシュイーターが好きで、釣ったやつを家で飼っていました。

そのときに釣友だった友達はクロダイ名人になったらしく、数年前に某クロダイ会で年間表彰されている写真と記事をネットで見つけました。

当時、その友達と一緒に、特に海釣りのとき、解放感から酒をくらい、誰かとケンカをしてきたりと、どんどん素行が悪くなっていきました。。。

その友達も中学生なのに、どこかで酒をかっくらって泥酔し、私が不在で妹がいるときに勝手に家に上がりこんで真っ赤な顔して寝込んでいたこともありました。。。

その彼も大学を卒業し、以前、名古屋では人気のある若手歌手のプロデューサーをやっていたのですから笑います。

その時期、私の父は某都銀の関東の支店長で単身赴任しており、私と母と妹と3人で名古屋に分かれて住んでいました。

3人ともそのまま名古屋にいたかったのですが、あまりにも私が勉強はしない、悪くなる一方なので、とうとう東京に引っ越すことになってしまいました(笑)。

そして中3から東京三鷹の中学校へ。

とにかく環境がガラッと変わるわけです。そしてそのときの中学校は、本当にいい学校でした。

担任の先生、そしてすぐに釣り好きの友達ができました。また転校生ながら別のクラスの人間とも友達がたくさんできて、自分で買わなければいけないようなクラスのバッチなどをくれたり、いろいろ面倒をみてくれ、本当にやさしい友達ばかりでした。

虚勢をはっていても転校でだいぶメンタル的に揺らいでいる時だからこそ、そのときのことは感謝してもしきれません。

釣り好きの友達は、毎日曜日に、奥多摩、道志川、相模湖などへ連れて行ってくれました。

ヤマメやニジマス、オイカワやブラックバス、ニゴイなどなど釣りましたね。

そういえばフライフィッシングもやりました。私はオイカワを釣ったかな?友達はハスを釣ってました。

私はその頃からテレビの見すぎで目が悪く、またカッコが悪いのでメガネはかけていませんでした。それでラインにつけた目印でアタリを取るのに非常に苦労し、いつもその友達には釣果では敵いませんでした。釣りに勝ち負けはありませんが(笑)。

でも渓流のあの景観、空気というのは最高だったですね。私にとって釣りとは今でも「それ」です。

それから高校では部活で釣りやる暇なく、大学ではバイクのロードレース一筋(そもそも学生がそれに一筋というのが大きく間違ってますが)でほとんど釣りせず。

卒業後、私がこれまで会社員でいたのはほんの4年だけ。そのときの会社の仲間で釣りやキャンプをしました。

西伊豆には毎週のように行っていた時期がありましたし、会社の海外旅行でシイラのトローリングもやったことがあります。先輩が130cm超のシイラを上げました。私はメーターなかったと思います。まあこれは順番制なので(笑)。

あと、手漕ぎですが、会社の先輩と仕事仲間の地元葉山在住のカメラマンと、たぶん一色の池田ボートさんだと思うのですが初めてのボート釣りをやりました。カワハギ狙いでしたが、地元の人をさしおいて私だけカワハギを数匹釣ったのが嬉しくて、この時にボート釣りにかなり興味を持ちました。

30代初めには会社を退社し、もう仕事で独立してました。この頃はほとんど釣りはしてません。格闘系武道の稽古、トレーニングに明け暮れ、海外単身旅行や、また仕事に関する勉強に一生懸命で、あまり釣りしたい気分にはなりませんでした。

この頃の釣りの思い出は2つ。

一つは、なぜだか革靴を履いて(笑)、今のオオモリボートさんの前身、アライボートに行きました。そのときに居合わせた人と同船を勧められ同じボートで釣りしました。釣果は同船者はカワハギだけ、私はウマズラだけ、その他ミノーを泳がしたりしておもしろかったです。

もう一つが、ニュージーランドでの釣り。
ニュージーランドへ10日くらい語学だめし程度、また研修目的なので一人でホームステイに出かけ、そこで釣りをしました。マダイ釣りなのですが、ブッ太いハリスにかなりデカイ針に、スーパーで買った魚の切り身を付けます。こんなんでマダイが釣れるわけないだろうと・・・すると、ほんの1時間程度で30~50弱が立て続けに5尾。同船の白人のオバさんはけっこうデカイのを釣り上げてました。これが本来のマダイではないでしょうか。

こんなに簡単にマダイが釣れるのに、NZではたしか30cm以下は死んでも持ち帰り不可なんですね。

そしてようやく40代になって釣りが本格化してきました。

とはいえ、今でこそ魚の内臓を生で食らいますが(笑)、実は、自分の釣った魚が気持ち悪くて全然食べられなかったんです。中学時代はカレイを釣っていましたが、カレイだけは食べられました。

釣った魚が食べられないので釣りがそんなにおもしろいわけがなく。それで家の近くで、リリース前提のシーバス狙いをやり始めました。

ある日、甥を乗合に釣れてゆき、甥が釣ったカサゴを家で煮てもらって食べたらメチャクチャ美味く感じました。それがきっかけでようやく自分の釣った魚を食べられるようになりました。そして釣りもおもしろくなってきました。ある意味、甥が私の釣りの師匠です(笑)。

そして葉山森戸の小松ボートさんによく行きました。手漕ぎですからコマセ釣りをよくやりました。

また同時期、毎週、乗合でタチウオジギングばかりやってました。

その後、家の近くのスミイカ乗合に乗りその時に竿頭で味をしめて、久比里のスミイカ乗合に。

久比里のスミイカ乗合は、午前はアオリも狙うんですね。私はその時アオリなんて知りませんでした。

そのためアオリを狙っている時間も、私だけはあまりしゃくらずアタリを取るスミイカ釣法で、というより知らずにスミイカを狙ってますから(笑)。

すると最初から600gくらいのアオリが乗りました(笑)。当日、アオリ釣果は私だけした。

スミイカと違って、墨が茶色で変なイカだなあという感覚でした(笑)。

その次の久比里のスミイカ乗合でも、アオリ釣果は私ともう一人だけ。

そんなわけで、アオリは必ず釣れるものとして暗示がかかります(笑)。

そういえば森戸の手漕ぎボートでもアオリやってたな、ということでチャレンジ。

道具も、釣り具屋でシーバスセットを買って持ってましたのでそれを使ってました。2.7mロッドにダイワの4000番くらいにPE1.5号!

それでも、すぐ500g、次にキロオーバーを釣ることができました。そのときあまりにもデカいメスアオリだったので怖くなりリリースしました(笑)。あの胴の太さの感覚から1.4kgくらいはあったように記憶しています。

アオリ釣りにはワクワクしましたが、手漕ぎボートだとすぐポイント目一杯になり、また曳船してもらうといいポイントに入れないためいつも浜から手漕ぎ競争です。

いいかげんイヤになり手漕ぎアオリは卒業、今度はアオリ乗合三昧でした。

乗合だと一日シャクリまくりです。頭の中は常にエギをフォールさせるカウントが支配して、普段の余計な思考を全て排除できます。

またアオリの気配がまったくなくても、他の魚釣れるかな~とか余計なことは考えられません。

このアオリ乗合通い時期、釣り以外でも意味あったなあ~と今感じますね。

心がブレれている状態ではどんないい結果だしても満足にキリないですから、やればやるほど自分が追い込まれます。

常に心は今をカウントし集中できれば、実はそこが最高の地点なんです。

あと、私は仕事では、ITで会社の効率、スピード、成果を上げてゆくのが役目なのですが、釣りでは真反対のことをやりたいですね。

できるだけ生身の感覚で釣りをして、自分の感覚をブラッシュアップしたいというところでしょうか。

本当にむずかしい問題・課題というのは、頭で考えても、いくら調べても、人に聞いても解決できないことをいいます。その答えを導く能力を遊びの釣りで楽しく鍛えたいということです。

そして葉山もすばらしいですが、西伊豆というフィールドで楽しめること自体、その道中も含め他に何を求めることがあるでしょうか、というほどの感覚の世界になりました。

これがあるからこそ、普段でも、少なくとも自分の身の回りの人、関係する会社にいかに貢献できるかに力を注ぐことができます。


さて、春一番も吹き、そろそろおもしろい季節が近づいてきますね!

昨年1年通して、戦略的にタックルを具体化してきましたので、まだ超低水温の3月を迎えますが、これからが本番です。

確かに昨年の今よりもっとワクワクするぜ!

ありがとう! 若かりし自分。君がいつも助けてくれてる♪